大誤算




深深と静まり返った夜の静寂の中、閉じられたカーテンの隙間から差し込む仄かな月の光が、明かりの消えた部屋の輪郭を淡く映しだしていた。
ベッドの上で微笑んだルルーシュが、誘うように手招きをしている。

―――こんなことがあっていいのだろうか?私は夢を見ているのでは・・・?

目の前に広がる信じられない光景に、ジェレミアは現実を疑った。
ルルーシュを自分の主君と定めてから、日にちは浅い。
しかし、ルルーシュの卓越した統率力と采配の見事さは、敵として対峙したときからジェレミアは嫌というほど知っている。
「ゼロ」であったルルーシュによって、ジェレミアは全てを失った。
ジェレミアはそれをは恨んではいない。悔いてもいない。
目の前にいる嘗ての宿敵は、今はジェレミアのもっとも大切な人になってしまった。
ルルーシュが見せる、怒りも憎しみも悲しみも優しさも、敵だったときには知りえなかったその感情の全てがジェレミアの心を完全に捉えてしまっている。
そしてなによりも、ジェレミアはルルーシュの高貴な瞳が好きだった。
数多い皇族の中でも、ジェレミアの知る限りではルルーシュほどの深い紫色をした瞳をもっている者はいない。
その瞳が誘うような妖艶さで、今自分に微笑みかけている。

「いつまでそこに立っているつもりだ?」

艶のある声でそう言われて、ジェレミアは覚束ない足取りでふらふらとその声に吸い寄せられた。
ベッドの傍まで行くと、脚を組んだルルーシュがうっとりとした表情でジェレミアを見上げている。
その瞳から目を離すことができない。

―――私はどんな顔をしてルルーシュ様を見下ろしているのだろう?

ふとそんなことを考えて、ジェレミアの意識は一瞬で我に返った。

―――私はなにをしているのだ!ルルーシュ様を見下ろすなど、あってはならない!そんな失礼なことを・・・してよいはずがない!!

慌ててジェレミアは床に膝を着いて、頭を下げる。
しかし、ジェレミアの無礼を咎める言葉はルルーシュの口から発せられることはなかった。
そのかわり、「ジェレミア」と甘い声で呼ばれて、神経が麻痺するような痺れがジェレミアの全身を駆け巡る。
「顔を上げろ」と言われて、命じられるままにルルーシュを見上げれば、さっきと変らない色が物欲しそうにジェレミアを見下ろしていた。
ジェレミアの身体の痺れは高揚感へと変化して、思考も意識も見下ろしているルルーシュの瞳に奪い取られる。
頭が真っ白になっていく感じはギアスをかけられた瞬間のそれとひどく似ていた。
ルルーシュの瞳は変っていない。ギアスを発動した様子もない。
もし、ルルーシュがギアスを使っても、ジェレミアにそれは通じない。
合理性を常に考えるルルーシュが、無意味な行動をとるはずがなかった。
だから、それはギアスの所為ではないのだろう。
ルルーシュの持つ魅力に、今のジェレミアは完全に支配されてしまっている。
言葉を発することも声を出すことも忘れて、ルルーシュの姿を食い入るように見入っていた。
そのくちびるにルルーシュの爪先が触れる。
「くちづけを」と、言われて、ジェレミアは差し出されたルルーシュの白い足を両手で包み、躊躇うことなくその甲にくちびるを落とす。
触れるだけのくちづけでは物足りず、白い肌を強く吸い上げると、鬱血の紅が浮かび上がった。
それを視覚で捉えて、ジェレミアは自分のしでかした畏れ多い行為に気づき、恐る恐る顔を上げる。
足を包むジェレミアの手が震えていることをわかっているのか、見上げたルルーシュは慈愛の笑みを浮かべていた。

「お前がしたいんだったら好きにすればいい」

ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、ルルーシュの声は意外なほど柔らかかった。
その穏やかな声に、ジェレミアの意識は現実へと引き戻されて、主君に対するそれまでの軽率な行動に血の気が引いた。
動くことも、震える手をルルーシュの足から離すこともできずに、青ざめた顔でルルーシュを見上げる。
そんなジェレミアにルルーシュは手を差し伸べる。
しかしそれは決して救いの手ではないことを、ジェレミアは充分に理解していた。
頭で理解はしていても、差し出された主の手を振り払うことはできない。
身体が勝手に動いて、気がつけばその手を取って誘われるままにルルーシュの身体をベッドに押し倒していた。

「俺の欲を満たしてくれないか」

耳元で囁かれた言葉に、ジェレミアの灯火程度に残された理性は吹き消された。
















―――・・・どうしてあんなことをしてしまったのか・・・。

「はぁ」と溜息を吐きながら、廊下をふらふらと歩くジェレミアの後姿には、いつもの精悍さは微塵も見られなかった。
よろよろとよろけながら壁に肩をぶつけたジェレミアは、そのままずるずると体勢を持ち崩してその場にしゃがみこんでしまった。

―――私はどのような顔をしてこの先ルルーシュ様にお仕えすればよいのだ・・・。

煩悶したところで答えなど見つかるはずもない。
誰かに相談しようにも、それををできそうな相手はここにはいない。
いや、例えここが政庁であったとしても、今のジェレミアの悩みを誰かに打ち明けられるはずもなかった。

―――あぁ・・・私はなんということを・・・。

しゃがみこんだジェレミアは終にはその場に蹲ってしまった。

「ジェレミア卿・・・?」

蹲ったジェレミアの背後から聞き覚えのある声がかけられた。
恐る恐る顔を上げれば、そこには嘗ての自分の部下だったヴィレッタの姿があった。
ヴィレッタはジェレミアの補佐官としての役目をキッチリとこなす優秀な部下だった。
ジェレミアにとっては「同士」と言っても過言ではない間柄である。
孤立感のある今の状況の中で、ジェレミアが唯一心を許せる人物だった。
ジェレミアの目から思わず涙が零れる。

「・・・ジェ、ジェレミア卿?一体どうしたのですか?どこか具合でも悪いのでは・・・?」
「ヴィレッタァァァァ〜!!」

縋りつくように涙を流したジェレミアがヴィレッタに手を伸ばすと、その手が彼女の身体に触れる前にぴしゃりと払われる。
キツイ性格は変っていないらしい。

「と、とにかく、人目もありますしこのようなところではなんですから私の所へ」

ジェレミアは黙ってそれに従った。
連れられて入った部屋はきっちりと整理整頓が行き届いていて、ヴィレッタの性格をそのまま現している簡素なものだった。
しかし今のジェレミアにはそんなことはどうでもいいことだ。
椅子に座らせられて、ジェレミアは俯いていた。

「・・・具合が悪い・・・ようではなさそうですね?」
「・・・・・・・・・・」
「何か悩みでもおありなのですか?」

短くはない時間をジェレミアの傍で過ごしたヴィレッタは、落ち込んだ時の彼の姿を良く知っている。
ジェレミアの涙脆い性格も充分にわかっているので、泣き顔などは屁とも思っていない。

「悩みがあるのなら相談に乗りますが?」
「・・・言ったら、お前は私を軽蔑するに決まっている・・・」
「軽蔑?私が貴方を?」
「・・・そうだ・・・」
「そんなことは・・・」
「いいや!絶対に軽蔑するぞ!断言してもいい!!」
「軽蔑するもしないも・・・とにかく、話を聞かないことには、判断できません」

ジェレミアは躊躇った。
しかし、誰かに相談したかったのも事実だ。
これまでもヴィレッタにはいろいろと相談を持ちかけ、その言葉がジェレミアの救いとなったことは少なくない。
例え軽蔑されることになっても、ひとりで思い悩んでいるよりは、いっそのこと全てを打ち明けてその打開策を求めるのもいいのかもしれないと、ジェレミアは考えた。

「実は・・・ルルーシュ様の、ことなんだが・・・」
「ルルーシュ・・・?」

突然飛び出してきた名前にヴィレッタは思わず呼び捨てにしてしまった。

「私の主君だ。ルルーシュ様と呼んでくれないか・・・」
「あ・・・はい。申し訳ございません。・・・で、その・・・ルルーシュさまがなにか?」
「昨夜のことなんだが・・・」

ジェレミアはぽつりぽつりと昨夜の出来事をヴィレッタに話し出した。




Go to Next→